2012年9月12日水曜日

現在の生物学には何が欠けているのか

以下は、京都大学化学研究所のHP「新しいゲノム情報科学をめざして」からの引用です。ゲノム情報科学の内容の是非はおいておいて、悲しいことに物理学に比べると、生物学は信仰の領域と見られているようです。

「現在の生物学には何が欠けているのでしょうか。それを考えるために、物理学と比較してみましょう。現在の素粒子物理学には図に示したように、標準理論とよばれる理論があります。その大きなポイントは、物質の一番下の構成要素である素粒子には、物質の構成粒子と力の伝達粒子の二種類がある点です。つまり、物質をつくるもととなる粒子があるだけでなく、それをつなぎ合わせる力がなければ、自然界は存在しません。別の言い方をすると相互作用が重要なわけです。」

2012年9月10日月曜日

現状の「科学的事実」と言われているものの怪しさ

学生時代、研究室で実験系を組むときに、いかにすれば望み通り(仮説通り)の実験結果が得られるかに研究室のメンバー全員が(教授の指導を受けながら)知恵を絞って実験を繰り返している姿を見てきました。恣意的にほとんどのパラメーターを固定し、あるパラメーターのみを変動させる。極端に言うと、「自然」をたたいたりひっぱったりつねったりして望み通りの結果を吐き出させる、といった感じです。

プロの研究者もどうやら似たようなことをしているらしいことを知り、一学者が勝手に「定義」したものを信じるという事にすっかり逡巡するようになってしまいました。

また、現在「定説」といわれている説が、もしかして恣意的な大きな前提の上に成り立っているのではないかと、研究室を離れて外から見ると、あらためて思います。

2012年9月8日土曜日

適正な評価機関がないのが問題では?

2001年現在、大学や学会の中がどうなっているのかは知りませんが(大学時代はある学会に2年だけ所属していたことはありますが)、最近、科学界や学会は一体どうなっているんだろう?という素朴な疑問があるのです(多くの学者が税金のムダ使いをしているのでは?という疑問を持っているのは私だけではないと思うのですが)。

2012年9月6日木曜日

事実と共認について

イヌイットの「白」、日本人の「米」、アラブでの「駱駝」等、生活上の重要度で表現の種類も違ってくる事、要するにこれは文化でしょう。文化=事実という捉え方そのものに無理があります。

誰も事実として認識しなくても(誰も地球が丸いと知らなくても)事実は事実としてあるのです。そしてそれが文化や宗教・個人差によって消されこそすれ生み出されたものではないからこそ、「万人の」といえるのでしょう。音痴な人が絶対音感を認識できないように、自分個人が認識したものしか認められないという見方こそ、固定観念の始まりではないでしょうか。


中野恵

2012年9月4日火曜日

事実認識の限界について

>それとも、あくまで、「事実」認識という手段には限界が無いということなのでしょうか。

>限界はない、と思います。(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=1350

白ワインって、どう見ても白ではなくてどちらかと言うと黄色に近い色ですよね。しかしそれがなぜ白ワインかというと、昔フランス語には白、赤、黒の3色しか色を認識する言葉がなかったそうです。そのためどんな色もその3色の中の最も近い色にふりわけられ、現在認識されている黄色という色は、「白」だと思われていたそうです。しかし実際、「事実」としてその3色では言い表せない色はあったわけで、そのような事実認識→事実の共認から、それ以外の色があるという認識が広がり、新しい色を表現する言葉も生まれ、今ではちゃんと他の色(緑や青やオレンジなんか)の認識がありますよね。(余談ですが、私は今、36色クレヨンセットを持っています)。

2012年9月2日日曜日

大転換期の予感と事実の追求

人々は、これまで無数の常識(規範とか観念。現在もっとも支配的な観念は、自由とか個人とか人権だと云って良いでしょう)に則って家庭生活を営み、あるいは経済生活を営んできました。しかしその結果が、先進国における全面的な行き詰まり(世界バブル・財政破綻・環境破壊・精神破壊)であり、崩壊の危機であるとすれば、それらを導いてきた常識群の根幹部が(従って、大部分の常識が)根本的に間違っているからだと考えるしかありません。おそらく人類は今、全文明史を覆すほどの大転換期に入ったのではないでしょうか。